命のメッセージ

今日やってたアンビリーバボー見た人いますか?

岡田貴嗣君という男の子の「命のメッセージ」という内容だったんだけど
号泣する内容でした。
あまりにいい内容で是非みんなに見てもらいたいと思って、
真実の物語の内容をココに載せたいと思います。

※長文です

 命のメッセージ

 この話の主人公、たかし君(9歳)は、折り紙の好きな
明るい少年である。
彼は5歳の時、重度の心臓病、心筋症であると診断される。
完全に治すためには移植するしか方法はなかった。
貴嗣君が2年生だった6月の朝、母親の節子さんは貴嗣君の
様子がおかしいことに気付く。呼びかけにも応えず、右足が
硬直しているようだった。
急いで病院に運ばれた貴嗣君は、脳梗塞の疑いがあると言われる。
 子供が脳梗塞になることは非常に稀なことであるが、心筋症で
あった貴嗣君の脳の血管がつまってしまったのだ。彼は
右半身が麻痺してしまい、その上、声が出せない、つまり失語症
になってしまったのである。
節子さんは、紙に平仮名を書き、貴嗣君に指してもらって意志を
確かめようとしたのだが、平仮名を読むことも困難らしく、
できなかった。せめて声だけでも出せるようになってほしい、
と両親は願っていた。
 そんな貴嗣君を病から救ったのが、クラスメイトのみんなだった。
病気で入院している貴嗣君のために千羽鶴を折っていたみんなは、
お見舞いに行きたいと担任のT谷先生に言う。
しかし、病状の悪化していた貴嗣君は面会謝絶の状態が続いていた。
そこで土谷先生は、クラスメイト全員の声のメッセージを
テープにとり、千羽鶴と一緒に貴嗣君のもとへ届けたのである。
節子さんはそのテープを、何日も貴嗣君に聞かせた。
そして、奇跡は起こったのである。
 節子さんが貴嗣君にジュースをひとくち飲ませ、クラスメイトの
テープを流していた時だった。

「もっとのみたい」。

貴嗣君がしゃべった。節子さんは信じられず、
「もう一度言ってごらん」と言うと、たどたどしいながらも、
「もっとのみたい」と言ったのだ。
貴嗣君に、声が戻ったのだ。
医師や看護婦も、信じられないような奇跡に、喜んだ。
この春、4年生になった貴嗣君は、右半身に少し麻痺が残るものの、
暖かい同級生たちに囲まれて、楽しい学校生活を送っている。



208 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/17 16:02

December 23rd

サンタクロースはいる!?スペシャル
命のメッセージ 再び

 1999年冬、碧南市立新川小学校、5年1組。以前放送された
たかし君は、脳硬塞に倒れながらもクラスメートたちの励ましの
メッセージに立ち上がった男の子だ。彼も今は5年生、
右手右足に不自由な所は残っているものの、多くのクラスメートに
支えられ、楽しい学校生活を送っている。
 担任のK原先生は、「彼は友達と遊んだり、勉強したり、
自分が何かに参加していると感じられる時に一番いい顔をしていますね。」
と言う。
 しかし、貴嗣君には悩みがあった。自分は何かをしてもらう
ばかりで、何の役にもたっていない・・・。
 貴嗣君の悩みは大きくなり、先生にも相談した。そこで、
普段は図書委員が中心になって行われる人形劇を、
貴嗣君が進めるのはどうだろうか。
そしてみんなに手伝ってくれないか、と先生はクラスのみんなに話した。
全員が手をあげ、協力してくれることになった。
 本番は4日後、碧南市心身障害者センターで行われることになった。
普段からこのセンターと交流のある貴嗣君は自然と力が入る。
 人形劇の練習に加えて、道具や舞台も用意しなくてはならない。
人手不足と聞きつけて、元2年1組の貴嗣君のクラスメートが
手伝いにきてくれた。
 4日間、貴嗣君は夜遅くまで台詞と人形の練習をした。
 そのみんなの努力が実り、本番当日の劇は大成功。
楽しい時間をセンターの人々に贈ることができた。友達の大切さ、
人になにかしてあげたいという気持ちの大切さを再び貴嗣君に
感じたのであった。



209 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/17 16:03

June 15th

感動のアンビリバボー
たかし君の夢~手紙から始まる奇跡~

 4年前に心臓が萎縮する心筋症が悪化、脳梗塞になった岡田貴嗣君。
たかし君は、右半身麻痺と、言葉がでなくなるという症状から、
友達の助けと励ましから立ち直った。そんなことから、
いつも前向きに明るく頑張ってきたたかし君だったが、
彼のお母さんから番組宛に手紙が届いた。
たかし君の体調が最近思わしくなく、自分は大人になれない、と、
希望を失ってしまっているのだという。
一体たかし君に何が起こったのだろうか?
 たかし君は、いつも友達の助けを借りながら学校生活を送ってきた。
自分は何かをしてもらうだけで、何もしてあげられない。
それが、たかし君が元気をなくしている理由のようだった。
 6年生になったたかし君は、学校生活最後の楽しみである
修学旅行に、友達の協力を得て行けることになった。
しかし、そこでも車椅子や友達や先生の力を借りるばかりで、
友達の大切な時間が自分のせいで犠牲になっているのではないか、
と元気を取り戻すことはできなかった。
 ところが、先日のアンビリバボーの放送でダウン症という重い病を
抱えながらも頑張る岩元綾さんの姿を見て、
たかし君は彼女に会ってみたいと思ったようなのだ。
彼女の、病気に負けずにかけがえのない人生を精一杯生きる姿に
感動したのだ。
 しかし、この二人が会うには大きな問題があった。
たかし君は最近心臓の調子が思わしくなく、飛行機や長距離の移動は
無理のようだった。
また、綾さんも心臓に負担のかかる長距離の移動は無理と思われた。
 そこで、番組スタッフは綾さんにたかし君のビデオレターを
送ったのだ。綾さんはそこに、懸命に生きるたかし君の姿に感動し、
彼女もたかし君に会いたいと、長旅を快諾してくれたのだ。
 ついに、綾さんとたかし君の出会いの場が設けられた。
たかし君の最近の不安を知った綾さんは、自分が今までどのように夢を
諦めずに追ってきたかを話し、たかし君の夢の話も聞いた。
たかし君は、綾さんとの出会いでようやく元気を取り戻したようだった。
 実は、たかし君は金沢市の小学校に小さな奇跡を起こしていた。
たかし君の母親の知人が勤めるこの学校には25羽のうさぎがいるのだが、
冬になると野菜が不足して困っているという話を聞いたたかし君が、
自分のおこづかいでにんじんを数回に渡り送っていたのだ。
その行為は人々の心を揺り動かし、今年はPTAの会議で
うさぎの飼育費が出ることになったというのだ。
 たかし君は言う。
「人のために何かをしてあげようと思うんじゃなくって、
生きていること自体がみんなの励ましになっていると気づいた。
これからも生き続けていきたい」。
命の大切さを知っているたかし君だからこそ、
6年生にしてこんな言葉が出るのだ。



210 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/17 16:06

January 18th

追悼特別企画
たかしくん、奇跡をありがとう
アンビリバボーと難病の少年の2年9ヶ月

 これまで、当番組に3回に渡って登場し、難病と闘いながらも
懸命に生きる姿で感動を巻き起こしてきた岡田貴嗣君が、
残念ながら昨年11月にこの世を去った。
わずか12年の短い命だったが、彼は数々の奇跡を起こしてきた。
 ・1998年4月25日放送 命のメッセージ
 ・1999年12月23日放送 命のメッセージ 再び
 ・2000年6月15日放送 たかし君の夢~手紙から始まる奇跡~
 彼は取材のたびに、前向きに生きる姿を私達に見せてくれた。
そして、彼も番組を通しての数々の出会いを生きる励みにしてくれた。
 彼は亡くなる前の日も元気に学校に行っていた。
体調が優れなくても、友達とのふれ合いを何よりも大切にしていた貴嗣くん。
「友だちっていいよ。ぼくも友だちにやさしくしたい。
そして友だちを大切にしたい」
という彼の言葉は、とても印象に強い。
 貴嗣くんは体調を崩し始めた頃、うつ状態になってしまっていた。
内疾患の場合、周囲からは彼の体が命にも関わるほどの病を抱えていても
見た目にはわからない。そのため、母親に背負われている時に
知らない人から「あらあら、こんなに大きいのにおんぶしてもらって、
甘えん坊さんね」などと声をかけられることがあった。
 貴嗣くんはそんな時、
「お母さん、大きい子がおんぶされてるのは、どこか怪我をしているとか、
必ず理由があるはずだよ。
それなのに、何も知らないで大人があんなことを簡単に言うのはおかしい」と
怒っていたという。母親が何も説明せずにその場を離れると、
貴嗣くんは母親の肩をぎゅっと掴んだという。
彼にとっての小さな抗議だったのだ。
 その後、町中でも車椅子に乗らなくてはならない程体調を崩しても、
彼は学校に行って友だちに会うことをとても楽しみにしていた。
学校に行けば、全て解ってくれる友だちがたくさんいたからだ。
 その後、友だちや番組を通しての新しい多くの出会いの中で、
生き続けたいという希望を持ってくれた貴嗣くんに安心し、
取材スタッフは小学校を卒業し、中学に入ったころの彼を取材できることを
とても楽しみにしていた。
 ところがそれは夢となってしまう。



211 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/17 16:06

2000年11月24日、体調の良かった貴嗣くんはビデオにとっておいた
見たい番組を、夜遅くまで母親と一緒に見ていた。
いつもと何も変わるところはなかったという。
お腹が空いたという貴嗣くんに、母親は焼そばを作ってあげることにした。
母親が台所に立っていると、
突然貴嗣くんは「あれ、おかしい、体が動かない」と言った。
 その時は、台所で火を使っていたこともあって
それほど気にも止めていなかったのだが、しばらくしてトイレに行った時、
貴嗣くんは「あっ」と胸をおさえてその場にうずくまってしまった。
 「お母さん、先生に電話して」という貴嗣くんの声に、
母親は心配になってすぐに救急車に電話をした。
母親は貴嗣くんを抱えて外で救急車が来るのを待った。
 病院で貴嗣くんは、人工呼吸と先生の心臓マッサージを受けながら、
最後まで生きようと頑張っていた。
母親も、懸命に頑張った貴嗣くんをほめてあげたいと語っている。
 2000年11月25日早朝、岡田貴嗣くんは12才の短い命を閉じた。
 学校と友だちが何よりも好きだった貴嗣くん。
彼の死を痛む声は大きかった。
「もう一度帰って来てほしい」
「貴嗣くんは人の役にたちたいといつも考えていて、とてもえらかった」
「貴嗣くんは物じゃなくて、たくさんのものを私達にくれたので、
ありがとうと言いたい」と友だちは口々に言っている。
 貴嗣くんのいた6年1組の教室には、今も彼の机が残っている。
彼が務めていた委員会もそのままだ。
貴嗣くんは今も友だちの心に生きている。
3月には、みんなと一緒に小学校を卒業する。
 貴嗣くんは本当に多くの人に感動を与えた。
そして、彼はいつまでもみんなの心の中に生き続けている。
貴嗣くん、奇跡をありがとう。



212 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/17 16:07

May 3rd

特別企画
たかし君の卒業 未来に広がる命のメッセージ

 3年半に渡る取材を通して、友達の大切さ、
生きていることの素晴らしさや大きな希望を与えてくれた岡田貴嗣君。
残念ながら彼は、2000年11月25日に12歳という若さでこの世を去った。
今年1月に番組で貴嗣君の追悼特別番組を放送したところ、
300通を超えるメールやお手紙が届いた。
彼の人生は短かかったが、本当に多くの人々の心を打つものだった。
 自分が生き続けることが、人の役に立っていると気付いた貴嗣君。
今回は、彼の亡き後も続く奇跡のエピソードをお送りする。
 世田谷区に住むOさん(28歳)は、3年前に子宮ガンを宣告され、
ライフワークだった美術デザインの仕事も断念せざるをえなくなり、
さらに待ち望んでいた第2子も流産し、不安の中で子育てをしていた。
しかし、貴嗣君の懸命に生きる姿を見て、
「こんなに小さい子が頑張っているのに、めそめそしていられない」
と勇気づけられたという。
 現在3歳になる自分の子供にも、人の役に立ちたいという気持ちを
持ってもらいたい、命の大切さを伝えたい、というのが彼女の願いだ。
 また、兵庫県姫路市に住むMさん(29歳)も
貴嗣君に勇気をもらったと話す。生まれてきた息子、T君に障害があり
、手術をしなければ短くて2・3日、長くて1ヶ月の命と宣告された。
始めは何も考えられなかった美也子さんだったが、
T君の生きられる限りの生命力にかけようと、
手術をしないことに決めた。
 その後、T君は4ヶ月後には目も見えるようになり、
手足も元気に動かすようになってきたのだ。
丁度その頃、彼女はテレビで貴嗣君の姿を見た。
そして、T君には生きていてくれるだけでいい、
そして自分達の子供に生まれてよかった、と思って欲しいと考えた。
彼女は今、T君と外に出たいと、夏用の帽子を編んでいる。
 兵庫県伊丹市に住むKさん(22歳)は、
貴嗣君の姿を見て自分と重ね合わせずにはいられなかった。
Kさん自身も重度の心臓疾患を患って生まれたからだ。
 20歳になったら寝たきりになり、突然死になってもおかしくはない、
と言われていた彼女は、今年無事22歳を迎えた。
日常生活では人知れず多くの悩みを抱えていた彼女だが、
貴嗣君の「生きているだけでいいんだ」という言葉に、
自分も生きているだけでもいいのかな、
と肩の荷が下りたような気がすると語った。
貴嗣君は、Kさんを安心させてあげていたのだ。



213 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/17 16:08

 さらに、貴嗣君に勇気をもらったのは、
病に苦しむ人達だけではなかった。
今年の1月、愛知県の碧南駅に二人の女子高生が降りた。
岐阜から来たという彼女たちは短いスカートをはいて化粧をし、
今時の女の子といった風貌だった。
駅の地図をずっと眺めていた彼女達に駅員が声をかけ話を聞いてみると、
彼女達はアンビリバボーを見て
貴嗣君の学校に行こうとしていることがわかった。
 駅から連絡を受けた学校は、貴嗣君のお母さんに電話をして
学校に来てもらった。16歳のTさんとAさんは、
番組を見てすぐに「貴嗣君のお母さんに会いたい」と思い、
誘い合って会いに来たのだという。
 一見、活発そうで何の悩みもなさそうに見える二人だったが、
Tさんは一つ上の兄と10歳年下の妹の間で家族内での悩みを抱えていた。
二人は、重い病気と闘いながら生きる貴嗣君を尊敬できると感じた。
そして、彼を見てやさしい気持ちが持てるようになり、
また余裕がでてきたと話す。
 貴嗣君がたくさんのことを気付かせてくれたと二人は話す。
そのお母さんに会えた日のこと、そしてやさしい気持ちが持てたことを
二人はいつまでもわすれないであろう。



214 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/17 16:10

 2001年3月19日、新川小学校では卒業式が行われた。
残念ながら、貴嗣君に卒業証書を渡したいという校長以下教員達と
卒業生達の願いは叶わなかったが、
彼の遺影は一番の親友というクラスメイトの片山健吾君に
支えられて卒業式に参加することができた。
式の中、貴嗣君の在籍した6年1組の別れの言葉には、
「友達って、いいよ。僕も友達に優しくしたい。
そして、友達を大切にしたい。」という貴嗣君の言葉が盛り込まれた。
 式の後、教室では貴嗣君のお母さんにクラスメイトから
感謝状と花束が贈られた。
お母さんは、こんな形で貴嗣君が一緒に卒業させてもらえるとは
思ってもいなかったようで、涙が止まらなかった。
 6年1組全員の心の中に今も貴嗣君は生き続けている。
2年間担任の先生だったK原先生にも、
生徒たちから思いがけないプレゼントが最後にあった。
生徒達全員が次々と自分の名前を告げると、こう言った。
「先生に大切なことを学び、心から感謝しています。
ありがとうございました」。
 卒業式で泣いたのは初めてだと、K原先生は話した。
教え子を亡くすというつらい出来事。
クラスは貴嗣君から本当に多くのことを学び、
涙を乗り越えて一緒に成長してきた。
貴嗣君は本当にたくさんの人々に勇気と生きる希望を与えてくれた。
 貴嗣君、卒業おめでとう。


奇跡体験!アンビリーバボーより
【2ch 号泣!本気で泣ける話 スレッドより転載】



Posted by ホソカワ at 22:10│Comments(1)
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ふと、奇跡体験!アンビリバボーの岡田貴嗣君を思い出した【小心者のせっかち闘病記】at 2009年09月01日 02:18
この記事へのコメント
 奇跡体験アンビリーバボーの岡田たかしくんのVTRを見ました。
私も非常に感動しました。教師をやっているのですが,子どもたちにも
見せたいと思っていたのですが,ビデオを取り忘れました。どなたか
お持ちのかたいませんか?
Posted by わたべ at 2008年02月15日 15:10
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