シェア創生記【15】
2009年05月09日
何がきっかけだったかは覚えていません。
もしかしたら初日からおかしくなってたのかもしれません。
ただいろいろなことが重なり俺の中で何かが壊れてしまったのだと思います。
2日目、朝早く起きた俺は柳田さんと二人で散歩に出掛けました。
柳田さんとじゃなければ一緒に歩けなかったと思います。
そこだけ時間が止まったかのような島で、朝の少しひんやりした空気の中を歩きます。
朝陽に反射された海がキラキラ輝いていてきれいでした。
昼間みんなは島内散策に出掛けました。
俺もしばらくたって誰かに誘われて島を歩きました。
少し歩いたところに弁天島という小島があり、
歩いて行けれるのですがそこに行きました。
そこには先に島内散策していた仲間たちがいたのですが
すでにおかしくなっていた俺は誰とも喋る気がしませんでした。
昼過ぎ宿の方に戻ります。
宿のそばに海水浴場があり、そこに海の家があってそこに行きました。
3連休の真ん中ということもあり島の外からも海水浴客が大勢来ていました。
確か鰐さんやなべちゃんは海に入ってたんじゃないかな?
海の家で一服していたのですがその時の様子が写真に残っています。
タバコを片手に(この頃はヘビースモーカーでした)超不機嫌そうな顔して写っています。
それから夕方になり宿の夕飯の時間になりましたが食べる気がしません。
俺は一人、食べずに外に出て歩きました。
桟橋や海の方へ行き、心を落ち着かせようと?
写真を撮ったり、ただただぼーっと海を眺めたりしていました。
どれくらい経ってからでしょうか?
宿に戻ります。
夕食の済んだ仲間たちは各々の好きなことをしています。
ふと、目に入るものがありました。
おにぎりでした。
よっしーやさおりが夕飯の時のご飯で作ってくれたらしく
「おなか空いたら食べなよ」というようなことを言ってくれました。
嬉しかったですね。
一方で「そんなことする必要はない。自分でいらないって言って出てったんだから」
というようなことを言ってた人もいたみたいです。
ごもっともですよね。
俺がそっち側だったら絶対にそういう風に言うと思います。
ちょっと経って、昨夜に続き今夜も宴会が始まります。
仲間の一人が「ホソカワもこっちで飲もうよ」と誘ってくれましたが
俺はどうしてもそんな気分になれなかったので断りました。
暖かい夜でしたし、一応俺に気を使ってくれてたんだと思います。
みんなは部屋じゃなくベランダのようなところで飲んでいました。
しかし一人部屋に残ってた俺は、ホントは自分もそこに行きたいけれどもそこに行けない精神状態で、
外で楽しげに飲んでいるみんなの声を聞いて頭に来たり腹が立ったり、
もうどうしていいかわからない軽い混乱状態に陥っていました。
宴会も終わりみんなも寝、夜も更けていきましたが俺は一人悶々とした夜でした。
3日目、最終日です。
朝から散策に出てった人もいたようです。
船の時間までは自由行動ということにしてありました。
・・・何をしていたかは忘れてしまいました。
何もしていなかったかもしれません。
気が付くと船の時間近くになっていたような気がします。
続々と仲間が帰ってきます。
しかしゆみちゃーだけが帰ってきません。
しばらくして帰ってきたのですがすごく顔色が悪いようでした。
どうも彼女は長い時間、太陽の下にはいられないというようなことを言っていた気がします。
日射病のような感じでしょうか?(違ってたらごめんなさい、うる覚えです。)
ちょっとして落ち着いてきたようです。
船が来ました。
こうして佐久島を後にします。
一色町の船乗り場につき車に乗り込みます。
行きと同じく俺は運転していきます。
助手席にはさおりが座りました。
選り好みをしているつもりはなかったのですが
あんな精神状態だったので、もしかしたら人によって合う、合わない、ということがあったかもしれません。
そんな状態でさおりが助手席だったというのはベストでした。
どこがどうとかはわかりませんがその時はそうでした。
後日、高橋君とさとうさんに話した時
「あれは俺らがあえてさおりを座らせたんだよ」と言われました。
さすがです。
行きは木曽路経由で行きましたが帰りは飯田経由です。
途中根羽村の道の駅で休憩したりしながら一路松本を目指します。
3時間後くらいでしょうか。
初日の集合場所であった小坂田公園に帰ってきました。
夕方になっていたのでみんなで夕飯を食べようということになり
塩尻峠にある東山食堂へ行きました。
ここは焼肉屋で小さい頃は家族でよく食べに来ていたのですが
十何年振りかに来てビックリしました。
超高いっ!
ロース一人前が1800円ぐらいした気がします。
食べ終わった後また小坂田公園に戻ってきます。
この頃には俺もだいぶ気分が落ち着いてきていました。
ここでみんなと解散します。
が、豊科集合だったさとうさんや高橋君、さおりも確かそうだったかな?は
一緒に帰ります。
途中崖の湯の下で夜景を見ました。
その時に高橋君たちには今回の旅行で迷惑かけたことを謝りました。
こうして3日間の佐久島ツアーが終わりました。
冒頭に書いたように何がきっかけだったかはわかりません。
しかもツアー中になぜ突然そうなってしまったのかもわかりません。
何か原因があったとかもわかりません。
この当時サークルの人数が一気に増えていってました。
それによっていろんな人が入ってくると同時に
いろんな意見が出てきてました。
こっちを立てればあっちの角が立つ。
サークルの頭としてはみんなの意見を汲んであげたいんです。
ただもう限界に近くなっていたことは確かです。
みんなの意見を汲みきれなくなってきていました。
こういうサークルは企画側と参加側と分類されます。
この時期、参加する側の一部に【やってもらって当たり前】というところがありました。
【参加してあげてる】という姿勢です。
企画する側の俺らはお金をもらってサークルをやっているわけではありません。
各企画毎の会費なども参加者と同じ額を払って出ています。
しかしこれがわからない人たちが多かったのです。
(今はそういう人たちはいなくなりましたが。)
サークルを作ったころであれば俺一人の意見でもう来ないでくれということも出来ましたが
この頃になると参加者が増えていってくれたこともあり、俺だけのサークルではなくなっていました。
みんなの意見を汲んであげたい。
これがもしかしたら俺自身を追い込んでいった原因なのかもしれません。
いろいろ抱え込んでいった結果が佐久島ツアーで爆発してしまったのかもしれません。
今考えてみると軽いうつ状態だったんじゃないかな?と思います。
この何日間後かに高橋君、なっかんと話をし、精神状態が落ち着くまで俺はしばらくサークルから離れることになります。
留守中はこの二人が中心になってサークルを盛りあげて行ってくれてました。
二人は俺にとって盟友です。
もしかしたら初日からおかしくなってたのかもしれません。
ただいろいろなことが重なり俺の中で何かが壊れてしまったのだと思います。
2日目、朝早く起きた俺は柳田さんと二人で散歩に出掛けました。
柳田さんとじゃなければ一緒に歩けなかったと思います。
そこだけ時間が止まったかのような島で、朝の少しひんやりした空気の中を歩きます。
朝陽に反射された海がキラキラ輝いていてきれいでした。
昼間みんなは島内散策に出掛けました。
俺もしばらくたって誰かに誘われて島を歩きました。
少し歩いたところに弁天島という小島があり、
歩いて行けれるのですがそこに行きました。
そこには先に島内散策していた仲間たちがいたのですが
すでにおかしくなっていた俺は誰とも喋る気がしませんでした。
昼過ぎ宿の方に戻ります。
宿のそばに海水浴場があり、そこに海の家があってそこに行きました。
3連休の真ん中ということもあり島の外からも海水浴客が大勢来ていました。
確か鰐さんやなべちゃんは海に入ってたんじゃないかな?
海の家で一服していたのですがその時の様子が写真に残っています。
タバコを片手に(この頃はヘビースモーカーでした)超不機嫌そうな顔して写っています。
それから夕方になり宿の夕飯の時間になりましたが食べる気がしません。
俺は一人、食べずに外に出て歩きました。
桟橋や海の方へ行き、心を落ち着かせようと?
写真を撮ったり、ただただぼーっと海を眺めたりしていました。
どれくらい経ってからでしょうか?
宿に戻ります。
夕食の済んだ仲間たちは各々の好きなことをしています。
ふと、目に入るものがありました。
おにぎりでした。
よっしーやさおりが夕飯の時のご飯で作ってくれたらしく
「おなか空いたら食べなよ」というようなことを言ってくれました。
嬉しかったですね。
一方で「そんなことする必要はない。自分でいらないって言って出てったんだから」
というようなことを言ってた人もいたみたいです。
ごもっともですよね。
俺がそっち側だったら絶対にそういう風に言うと思います。
ちょっと経って、昨夜に続き今夜も宴会が始まります。
仲間の一人が「ホソカワもこっちで飲もうよ」と誘ってくれましたが
俺はどうしてもそんな気分になれなかったので断りました。
暖かい夜でしたし、一応俺に気を使ってくれてたんだと思います。
みんなは部屋じゃなくベランダのようなところで飲んでいました。
しかし一人部屋に残ってた俺は、ホントは自分もそこに行きたいけれどもそこに行けない精神状態で、
外で楽しげに飲んでいるみんなの声を聞いて頭に来たり腹が立ったり、
もうどうしていいかわからない軽い混乱状態に陥っていました。
宴会も終わりみんなも寝、夜も更けていきましたが俺は一人悶々とした夜でした。
3日目、最終日です。
朝から散策に出てった人もいたようです。
船の時間までは自由行動ということにしてありました。
・・・何をしていたかは忘れてしまいました。
何もしていなかったかもしれません。
気が付くと船の時間近くになっていたような気がします。
続々と仲間が帰ってきます。
しかしゆみちゃーだけが帰ってきません。
しばらくして帰ってきたのですがすごく顔色が悪いようでした。
どうも彼女は長い時間、太陽の下にはいられないというようなことを言っていた気がします。
日射病のような感じでしょうか?(違ってたらごめんなさい、うる覚えです。)
ちょっとして落ち着いてきたようです。
船が来ました。
こうして佐久島を後にします。
一色町の船乗り場につき車に乗り込みます。
行きと同じく俺は運転していきます。
助手席にはさおりが座りました。
選り好みをしているつもりはなかったのですが
あんな精神状態だったので、もしかしたら人によって合う、合わない、ということがあったかもしれません。
そんな状態でさおりが助手席だったというのはベストでした。
どこがどうとかはわかりませんがその時はそうでした。
後日、高橋君とさとうさんに話した時
「あれは俺らがあえてさおりを座らせたんだよ」と言われました。
さすがです。
行きは木曽路経由で行きましたが帰りは飯田経由です。
途中根羽村の道の駅で休憩したりしながら一路松本を目指します。
3時間後くらいでしょうか。
初日の集合場所であった小坂田公園に帰ってきました。
夕方になっていたのでみんなで夕飯を食べようということになり
塩尻峠にある東山食堂へ行きました。
ここは焼肉屋で小さい頃は家族でよく食べに来ていたのですが
十何年振りかに来てビックリしました。
超高いっ!
ロース一人前が1800円ぐらいした気がします。
食べ終わった後また小坂田公園に戻ってきます。
この頃には俺もだいぶ気分が落ち着いてきていました。
ここでみんなと解散します。
が、豊科集合だったさとうさんや高橋君、さおりも確かそうだったかな?は
一緒に帰ります。
途中崖の湯の下で夜景を見ました。
その時に高橋君たちには今回の旅行で迷惑かけたことを謝りました。
こうして3日間の佐久島ツアーが終わりました。
冒頭に書いたように何がきっかけだったかはわかりません。
しかもツアー中になぜ突然そうなってしまったのかもわかりません。
何か原因があったとかもわかりません。
この当時サークルの人数が一気に増えていってました。
それによっていろんな人が入ってくると同時に
いろんな意見が出てきてました。
こっちを立てればあっちの角が立つ。
サークルの頭としてはみんなの意見を汲んであげたいんです。
ただもう限界に近くなっていたことは確かです。
みんなの意見を汲みきれなくなってきていました。
こういうサークルは企画側と参加側と分類されます。
この時期、参加する側の一部に【やってもらって当たり前】というところがありました。
【参加してあげてる】という姿勢です。
企画する側の俺らはお金をもらってサークルをやっているわけではありません。
各企画毎の会費なども参加者と同じ額を払って出ています。
しかしこれがわからない人たちが多かったのです。
(今はそういう人たちはいなくなりましたが。)
サークルを作ったころであれば俺一人の意見でもう来ないでくれということも出来ましたが
この頃になると参加者が増えていってくれたこともあり、俺だけのサークルではなくなっていました。
みんなの意見を汲んであげたい。
これがもしかしたら俺自身を追い込んでいった原因なのかもしれません。
いろいろ抱え込んでいった結果が佐久島ツアーで爆発してしまったのかもしれません。
今考えてみると軽いうつ状態だったんじゃないかな?と思います。
この何日間後かに高橋君、なっかんと話をし、精神状態が落ち着くまで俺はしばらくサークルから離れることになります。
留守中はこの二人が中心になってサークルを盛りあげて行ってくれてました。
二人は俺にとって盟友です。

Posted by ホソカワ at 21:20│Comments(0)
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