シェア創生記【18】
2009年05月21日
まずは納屋の状態からアジトに切り替えるために徹底的に大掃除をしました。
まぁ~出るわ出るわのゴミだらけでした(;^ω^)。
一日じゃ終わらなくて週末の度に集まって片付けをしたり
電気の配線工事、水道の配管工事などなど、素人ながらのリフォームをしていました。
ちょっとづつモノを揃えていって、最終的にはカウンターのあるbarのような感じに仕上がりました。
写真がないのが残念ですが、ここではいろいろと思い出があります。
最初の頃はリフォームと同時に、庭の土いじりも始めました。
ダッシュ村に憧れてたところもあったんです。
過去、ここは畑だったんだろうなぁ~っていう場所をまず草むしりから始めます。
それからホームセンターでクワを買ってきて手作業で耕します。
何年も放置していた場所なので土壌がスーパー硬くなっていて大変でした。
その後はいろんな種を買ってきて植えました。
もちろん基本的には食べられる物だけですw
キュウリやナス、あとメロンなんかも植えました( ・∀・)アヒャ
形はどれも悪かったけど味は良かったですヽ(°▽、°)ノエヘヘヘヘ
今考えるとあれがきっかけで高橋君は農業に目覚めたんだろうなぁ~。
どう?
まぁ~出るわ出るわのゴミだらけでした(;^ω^)。
一日じゃ終わらなくて週末の度に集まって片付けをしたり
電気の配線工事、水道の配管工事などなど、素人ながらのリフォームをしていました。
ちょっとづつモノを揃えていって、最終的にはカウンターのあるbarのような感じに仕上がりました。
写真がないのが残念ですが、ここではいろいろと思い出があります。
最初の頃はリフォームと同時に、庭の土いじりも始めました。
ダッシュ村に憧れてたところもあったんです。
過去、ここは畑だったんだろうなぁ~っていう場所をまず草むしりから始めます。
それからホームセンターでクワを買ってきて手作業で耕します。
何年も放置していた場所なので土壌がスーパー硬くなっていて大変でした。
その後はいろんな種を買ってきて植えました。
もちろん基本的には食べられる物だけですw
キュウリやナス、あとメロンなんかも植えました( ・∀・)アヒャ
形はどれも悪かったけど味は良かったですヽ(°▽、°)ノエヘヘヘヘ
今考えるとあれがきっかけで高橋君は農業に目覚めたんだろうなぁ~。
どう?
シェア創生記【17】
2009年05月16日
サークルの企画後にいつもみんなでファミレスに行っていました。
もちろんご飯を食べることもそうですが、
一番はみんなとダベることが目的でした。
しかし毎企画後にファミレスを行くことはお金が掛かりますし
長い時間居られないことがネックでした。
そこでいろいろと考え、
高橋君ちの使ってない納屋を借りて改造し
みんなが集まってダベることの出来る居場所を作りました。
【アジト】です。
もちろんご飯を食べることもそうですが、
一番はみんなとダベることが目的でした。
しかし毎企画後にファミレスを行くことはお金が掛かりますし
長い時間居られないことがネックでした。
そこでいろいろと考え、
高橋君ちの使ってない納屋を借りて改造し
みんなが集まってダベることの出来る居場所を作りました。
【アジト】です。
シェア創生記【16】
2009年05月15日
サークルからは実質2~3ヵ月離れてました。
前回のブログにも書いたように俺がサークルを離れてる間は
なっかんと高橋君の2人がサークルをまとめてくれてました。
俺はサークルこそ参加していませんでしたが
2人とは連絡を取っていたのでよく話はしていました。
この間のことはあまり書くことがありません。
でも言えることは彼らが頑張ってくれたおかげで今のサークルがあります。
2人には感謝しています。
2~3ヶ月の期間は俺にとっていろいろ考えることができました。
だいぶ調子も戻ってきてました。
そして復活しました。
前回のブログにも書いたように俺がサークルを離れてる間は
なっかんと高橋君の2人がサークルをまとめてくれてました。
俺はサークルこそ参加していませんでしたが
2人とは連絡を取っていたのでよく話はしていました。
この間のことはあまり書くことがありません。
でも言えることは彼らが頑張ってくれたおかげで今のサークルがあります。
2人には感謝しています。
2~3ヶ月の期間は俺にとっていろいろ考えることができました。
だいぶ調子も戻ってきてました。
そして復活しました。
シェア創生記【15】
2009年05月09日
何がきっかけだったかは覚えていません。
もしかしたら初日からおかしくなってたのかもしれません。
ただいろいろなことが重なり俺の中で何かが壊れてしまったのだと思います。
2日目、朝早く起きた俺は柳田さんと二人で散歩に出掛けました。
柳田さんとじゃなければ一緒に歩けなかったと思います。
そこだけ時間が止まったかのような島で、朝の少しひんやりした空気の中を歩きます。
朝陽に反射された海がキラキラ輝いていてきれいでした。
昼間みんなは島内散策に出掛けました。
俺もしばらくたって誰かに誘われて島を歩きました。
少し歩いたところに弁天島という小島があり、
歩いて行けれるのですがそこに行きました。
そこには先に島内散策していた仲間たちがいたのですが
すでにおかしくなっていた俺は誰とも喋る気がしませんでした。
昼過ぎ宿の方に戻ります。
宿のそばに海水浴場があり、そこに海の家があってそこに行きました。
3連休の真ん中ということもあり島の外からも海水浴客が大勢来ていました。
確か鰐さんやなべちゃんは海に入ってたんじゃないかな?
海の家で一服していたのですがその時の様子が写真に残っています。
タバコを片手に(この頃はヘビースモーカーでした)超不機嫌そうな顔して写っています。
それから夕方になり宿の夕飯の時間になりましたが食べる気がしません。
俺は一人、食べずに外に出て歩きました。
桟橋や海の方へ行き、心を落ち着かせようと?
写真を撮ったり、ただただぼーっと海を眺めたりしていました。
どれくらい経ってからでしょうか?
宿に戻ります。
夕食の済んだ仲間たちは各々の好きなことをしています。
ふと、目に入るものがありました。
おにぎりでした。
よっしーやさおりが夕飯の時のご飯で作ってくれたらしく
「おなか空いたら食べなよ」というようなことを言ってくれました。
嬉しかったですね。
一方で「そんなことする必要はない。自分でいらないって言って出てったんだから」
というようなことを言ってた人もいたみたいです。
ごもっともですよね。
俺がそっち側だったら絶対にそういう風に言うと思います。
ちょっと経って、昨夜に続き今夜も宴会が始まります。
仲間の一人が「ホソカワもこっちで飲もうよ」と誘ってくれましたが
俺はどうしてもそんな気分になれなかったので断りました。
暖かい夜でしたし、一応俺に気を使ってくれてたんだと思います。
みんなは部屋じゃなくベランダのようなところで飲んでいました。
しかし一人部屋に残ってた俺は、ホントは自分もそこに行きたいけれどもそこに行けない精神状態で、
外で楽しげに飲んでいるみんなの声を聞いて頭に来たり腹が立ったり、
もうどうしていいかわからない軽い混乱状態に陥っていました。
宴会も終わりみんなも寝、夜も更けていきましたが俺は一人悶々とした夜でした。
3日目、最終日です。
朝から散策に出てった人もいたようです。
船の時間までは自由行動ということにしてありました。
・・・何をしていたかは忘れてしまいました。
何もしていなかったかもしれません。
気が付くと船の時間近くになっていたような気がします。
続々と仲間が帰ってきます。
しかしゆみちゃーだけが帰ってきません。
しばらくして帰ってきたのですがすごく顔色が悪いようでした。
どうも彼女は長い時間、太陽の下にはいられないというようなことを言っていた気がします。
日射病のような感じでしょうか?(違ってたらごめんなさい、うる覚えです。)
ちょっとして落ち着いてきたようです。
船が来ました。
こうして佐久島を後にします。
一色町の船乗り場につき車に乗り込みます。
行きと同じく俺は運転していきます。
助手席にはさおりが座りました。
選り好みをしているつもりはなかったのですが
あんな精神状態だったので、もしかしたら人によって合う、合わない、ということがあったかもしれません。
そんな状態でさおりが助手席だったというのはベストでした。
どこがどうとかはわかりませんがその時はそうでした。
後日、高橋君とさとうさんに話した時
「あれは俺らがあえてさおりを座らせたんだよ」と言われました。
さすがです。
行きは木曽路経由で行きましたが帰りは飯田経由です。
途中根羽村の道の駅で休憩したりしながら一路松本を目指します。
3時間後くらいでしょうか。
初日の集合場所であった小坂田公園に帰ってきました。
夕方になっていたのでみんなで夕飯を食べようということになり
塩尻峠にある東山食堂へ行きました。
ここは焼肉屋で小さい頃は家族でよく食べに来ていたのですが
十何年振りかに来てビックリしました。
超高いっ!
ロース一人前が1800円ぐらいした気がします。
食べ終わった後また小坂田公園に戻ってきます。
この頃には俺もだいぶ気分が落ち着いてきていました。
ここでみんなと解散します。
が、豊科集合だったさとうさんや高橋君、さおりも確かそうだったかな?は
一緒に帰ります。
途中崖の湯の下で夜景を見ました。
その時に高橋君たちには今回の旅行で迷惑かけたことを謝りました。
こうして3日間の佐久島ツアーが終わりました。
冒頭に書いたように何がきっかけだったかはわかりません。
しかもツアー中になぜ突然そうなってしまったのかもわかりません。
何か原因があったとかもわかりません。
この当時サークルの人数が一気に増えていってました。
それによっていろんな人が入ってくると同時に
いろんな意見が出てきてました。
こっちを立てればあっちの角が立つ。
サークルの頭としてはみんなの意見を汲んであげたいんです。
ただもう限界に近くなっていたことは確かです。
みんなの意見を汲みきれなくなってきていました。
こういうサークルは企画側と参加側と分類されます。
この時期、参加する側の一部に【やってもらって当たり前】というところがありました。
【参加してあげてる】という姿勢です。
企画する側の俺らはお金をもらってサークルをやっているわけではありません。
各企画毎の会費なども参加者と同じ額を払って出ています。
しかしこれがわからない人たちが多かったのです。
(今はそういう人たちはいなくなりましたが。)
サークルを作ったころであれば俺一人の意見でもう来ないでくれということも出来ましたが
この頃になると参加者が増えていってくれたこともあり、俺だけのサークルではなくなっていました。
みんなの意見を汲んであげたい。
これがもしかしたら俺自身を追い込んでいった原因なのかもしれません。
いろいろ抱え込んでいった結果が佐久島ツアーで爆発してしまったのかもしれません。
今考えてみると軽いうつ状態だったんじゃないかな?と思います。
この何日間後かに高橋君、なっかんと話をし、精神状態が落ち着くまで俺はしばらくサークルから離れることになります。
留守中はこの二人が中心になってサークルを盛りあげて行ってくれてました。
二人は俺にとって盟友です。
もしかしたら初日からおかしくなってたのかもしれません。
ただいろいろなことが重なり俺の中で何かが壊れてしまったのだと思います。
2日目、朝早く起きた俺は柳田さんと二人で散歩に出掛けました。
柳田さんとじゃなければ一緒に歩けなかったと思います。
そこだけ時間が止まったかのような島で、朝の少しひんやりした空気の中を歩きます。
朝陽に反射された海がキラキラ輝いていてきれいでした。
昼間みんなは島内散策に出掛けました。
俺もしばらくたって誰かに誘われて島を歩きました。
少し歩いたところに弁天島という小島があり、
歩いて行けれるのですがそこに行きました。
そこには先に島内散策していた仲間たちがいたのですが
すでにおかしくなっていた俺は誰とも喋る気がしませんでした。
昼過ぎ宿の方に戻ります。
宿のそばに海水浴場があり、そこに海の家があってそこに行きました。
3連休の真ん中ということもあり島の外からも海水浴客が大勢来ていました。
確か鰐さんやなべちゃんは海に入ってたんじゃないかな?
海の家で一服していたのですがその時の様子が写真に残っています。
タバコを片手に(この頃はヘビースモーカーでした)超不機嫌そうな顔して写っています。
それから夕方になり宿の夕飯の時間になりましたが食べる気がしません。
俺は一人、食べずに外に出て歩きました。
桟橋や海の方へ行き、心を落ち着かせようと?
写真を撮ったり、ただただぼーっと海を眺めたりしていました。
どれくらい経ってからでしょうか?
宿に戻ります。
夕食の済んだ仲間たちは各々の好きなことをしています。
ふと、目に入るものがありました。
おにぎりでした。
よっしーやさおりが夕飯の時のご飯で作ってくれたらしく
「おなか空いたら食べなよ」というようなことを言ってくれました。
嬉しかったですね。
一方で「そんなことする必要はない。自分でいらないって言って出てったんだから」
というようなことを言ってた人もいたみたいです。
ごもっともですよね。
俺がそっち側だったら絶対にそういう風に言うと思います。
ちょっと経って、昨夜に続き今夜も宴会が始まります。
仲間の一人が「ホソカワもこっちで飲もうよ」と誘ってくれましたが
俺はどうしてもそんな気分になれなかったので断りました。
暖かい夜でしたし、一応俺に気を使ってくれてたんだと思います。
みんなは部屋じゃなくベランダのようなところで飲んでいました。
しかし一人部屋に残ってた俺は、ホントは自分もそこに行きたいけれどもそこに行けない精神状態で、
外で楽しげに飲んでいるみんなの声を聞いて頭に来たり腹が立ったり、
もうどうしていいかわからない軽い混乱状態に陥っていました。
宴会も終わりみんなも寝、夜も更けていきましたが俺は一人悶々とした夜でした。
3日目、最終日です。
朝から散策に出てった人もいたようです。
船の時間までは自由行動ということにしてありました。
・・・何をしていたかは忘れてしまいました。
何もしていなかったかもしれません。
気が付くと船の時間近くになっていたような気がします。
続々と仲間が帰ってきます。
しかしゆみちゃーだけが帰ってきません。
しばらくして帰ってきたのですがすごく顔色が悪いようでした。
どうも彼女は長い時間、太陽の下にはいられないというようなことを言っていた気がします。
日射病のような感じでしょうか?(違ってたらごめんなさい、うる覚えです。)
ちょっとして落ち着いてきたようです。
船が来ました。
こうして佐久島を後にします。
一色町の船乗り場につき車に乗り込みます。
行きと同じく俺は運転していきます。
助手席にはさおりが座りました。
選り好みをしているつもりはなかったのですが
あんな精神状態だったので、もしかしたら人によって合う、合わない、ということがあったかもしれません。
そんな状態でさおりが助手席だったというのはベストでした。
どこがどうとかはわかりませんがその時はそうでした。
後日、高橋君とさとうさんに話した時
「あれは俺らがあえてさおりを座らせたんだよ」と言われました。
さすがです。
行きは木曽路経由で行きましたが帰りは飯田経由です。
途中根羽村の道の駅で休憩したりしながら一路松本を目指します。
3時間後くらいでしょうか。
初日の集合場所であった小坂田公園に帰ってきました。
夕方になっていたのでみんなで夕飯を食べようということになり
塩尻峠にある東山食堂へ行きました。
ここは焼肉屋で小さい頃は家族でよく食べに来ていたのですが
十何年振りかに来てビックリしました。
超高いっ!
ロース一人前が1800円ぐらいした気がします。
食べ終わった後また小坂田公園に戻ってきます。
この頃には俺もだいぶ気分が落ち着いてきていました。
ここでみんなと解散します。
が、豊科集合だったさとうさんや高橋君、さおりも確かそうだったかな?は
一緒に帰ります。
途中崖の湯の下で夜景を見ました。
その時に高橋君たちには今回の旅行で迷惑かけたことを謝りました。
こうして3日間の佐久島ツアーが終わりました。
冒頭に書いたように何がきっかけだったかはわかりません。
しかもツアー中になぜ突然そうなってしまったのかもわかりません。
何か原因があったとかもわかりません。
この当時サークルの人数が一気に増えていってました。
それによっていろんな人が入ってくると同時に
いろんな意見が出てきてました。
こっちを立てればあっちの角が立つ。
サークルの頭としてはみんなの意見を汲んであげたいんです。
ただもう限界に近くなっていたことは確かです。
みんなの意見を汲みきれなくなってきていました。
こういうサークルは企画側と参加側と分類されます。
この時期、参加する側の一部に【やってもらって当たり前】というところがありました。
【参加してあげてる】という姿勢です。
企画する側の俺らはお金をもらってサークルをやっているわけではありません。
各企画毎の会費なども参加者と同じ額を払って出ています。
しかしこれがわからない人たちが多かったのです。
(今はそういう人たちはいなくなりましたが。)
サークルを作ったころであれば俺一人の意見でもう来ないでくれということも出来ましたが
この頃になると参加者が増えていってくれたこともあり、俺だけのサークルではなくなっていました。
みんなの意見を汲んであげたい。
これがもしかしたら俺自身を追い込んでいった原因なのかもしれません。
いろいろ抱え込んでいった結果が佐久島ツアーで爆発してしまったのかもしれません。
今考えてみると軽いうつ状態だったんじゃないかな?と思います。
この何日間後かに高橋君、なっかんと話をし、精神状態が落ち着くまで俺はしばらくサークルから離れることになります。
留守中はこの二人が中心になってサークルを盛りあげて行ってくれてました。
二人は俺にとって盟友です。

シェア創生記【14】
2009年05月06日
佐渡2泊3日ツアーの翌年、
2007年7月17・18・19日の3日間で今度は愛知県の離島佐久島へ行きました。
参加メンバーは俺、鰐さん、樋口さん、佐藤さん、高橋君、なべちゃん、柳田さん、ゆみちゃー、よっしー、さおりの10人です。 (みんないますか?足りないようなら補足お願いします。)
ちなみになっかんはその時、屋久島に行ってました。 |ω・`)ウラヤマス…
17日みんなで集合して愛知県に向かいます

今のように高速道路が休日1000円乗り放題であれば良かったのですが当然当時はなかったので
『お金を使うなら体力使え』ということで下道で行きました。
何時間後かに本島側の一色町の船乗り場に到着します。
そこから佐久島の東港に向かいます

約25分ほどで佐久島につきました。
船から降りて、島で二日間お世話になる【鈴木屋旅館】へ向かいます。
旅館までは港から徒歩2~3分という近さで、しかも俺たちが泊まる部屋はオーシャンビュー!
人数が多いこともあり旅館側が気を利かしてくれて角部屋2部屋を用意してくれていました。
これなら夜騒いでも他のお客さんには迷惑かけないで済みます。鈴木屋さんに感謝!
荷物を置き夕飯までの時間みんなで外に出ます。
思い返してみるとこの旅行はみんなプチカメラマン状態で写真を撮りまくっていました

俺は定番のビデオカメラと自分の一眼レフと、撮るものが二つもありなんだか大変だった覚えがあります。
この島自体、アートによる島おこしをしているので被写体はいくらでもあります。
島の印象ですが、前年の佐渡よりも規模が小さい島ですし佐渡ほどメジャーじゃないので
観光客もこのトップシーズンの3連休にしてはそんなに多くもなく穏やかな感じで、
ゆったりとした島時間みたいなものが流れていた気がします。
夕方、海に沈む夕日がきれいでした。
それからしばらくして宿に戻り夕飯の時間になります。
自分たちで作らなくていい、ってのはホントに楽でいいですね。
本来なら部屋食らしいのですが人数が多かったこともありウチのグループだけ宴会場に通して貰いました。
夕飯は海の幸がこれでもかっ!っていうほど出てきました。
この島は蛸と大アサリが有名なのですが両方ちゃんと出ました

ここだけの話ですがそれほど魚が好きじゃない某リーダーは「ハンバーグ食べたい・・・」って言ってました(笑)
ま、俺なんですが・・・。
ビール(別料金)もせっかくここまで来てんだから的なノリで何本も開けました(別料金)。
宴会場ですからカラオケ(別料金)もあったのですがせっかくここまで来てんだから的なノリで、とはいかず、ちょっとそこまでは出せないかな・・・的な(笑)
夕飯の後恒例のアレの時間です。
・・・花火です

また持ってきちゃいました、花火。
すみません花火・・なんです。
ただ俺らも馬鹿じゃないので学習してます。
佐渡の時よりは調整して持って行きました。佐渡の時よりは…です。
宿から出て佐久島海釣センターという65メーターの長さの桟橋があるところまで行きます。
ここなら大きな音を出しても迷惑がかかりません。
桟橋まで行くともう先客が何組もいてそれぞれに花火をしていました。
そこに真打登場!
今回もまた、佐渡の時より量は少なくなったとはいえ段ボールで持って行ってます。
周りが何その花火の量?って顔していますが気にせず花火をします。
いい歳した10人の大人が大はしゃぎで花火をします。
俺思うんですけどこういうことができるのもサークルの醍醐味ですよね。すばらしい!!!
花火も終わりに近付いてきた頃、雨がぽつりぽつりと降ってきました

そう思った瞬間、『ダーッっ!!!!!』と物凄い勢いで雨足が強くなりました。
もうね、何この雨?状態。
完全にスコールです。
しかも今桟橋の上。あぶねーっ!!!!!逃げろーっ!!

大急ぎで花火を片付けて宿の方に帰ります。
でももう完全に手遅れ。花火は全滅、俺らも超びしょ濡れ
でも、宿に着いた頃には雨があがってます。
もう、笑うしかないねマジで。みんなで大笑いしました!
んでその状態で記念撮影!
みんな超いい顔しています
宿に帰ってからは宴会です。買ってきてた缶ビールやチューハイで乾杯!
深夜まで酒盛りが続きました。
こうして楽しい1日目が終わります。
・・・しかし2日目。
思いもよらない出来事が起こります。

シェア創生記【13】
2009年04月29日
佐渡から帰ってきたあとしばらくして、
また新たな仲間が増えていきました。
まぁ大体シェアの活動スタイルとして当時はBBQが7~8割を占めていましたから
当然新規メンバーの初参加もBBQでした。
この頃入ってきたのが伊藤さん、長尾さん、モモちゃん、です。
伊藤さんは一番最初はカヤが連れてきたんですよね。
繋がりは確かカヤの友達、というより
正確に言うと元々サークルに参加してた下諏訪?諏訪?の人
(名前を忘れてしまいました(´ε`;)ウーン…)が諏訪湖でボートだかなんかをやってて、
それをカヤが見に行ってるうちに仲良くなって、
その仲良くなった人の友達が伊藤さんで、それがきっかけでサークルに来るようになったんですよね??
なんだか書いててわけワカメ(_´Д`) アイーン
(違ってたら修正してください)
そんなこんなで最初はサークルに参加してきた伊藤さんですが
今ではサークルに欠かせない仲間になりました。
そして長尾さん、前に結婚した時のブログにも書いたけど
一番最初は大雨の、嵐のような日のBBQが初参加でした。
シェアは基本的にアウトドア系と謳っていますから外の企画が多いのですが
案外天気には強い方なんです。
過去の企画などを思い出しても戦績は7勝3敗位なんですよ。
(_ノフ○ グッタリ マッタクイミガワカラナイ・・・・)
そんななかにおいて長尾さんが初登場した日のBBQはホントに嵐でしたね。
あそこまですごいと逆に笑えますアッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノアッヒャッヒャ
その雨が返ってよかったのか、あの日だけでだいぶ仲良くなれた気がしますよね。
その時長尾さんは友達二人連れてきていました。
一人は清水くんていう男の子と、そしてもう一人。
そうです、モモちゃんです!
キタ━━━━(。A。)━(゚∀゚)━(。A。)━(゚∀゚)━(。A。)━━━━!!!!
さぁももちゃん、お待たせしました。
約束どうり登場させたよ~!!
でもこの頃のモモちゃんは今では全く考えられないくらいおとなしかったんです。
なんだか目立たないようにしていました。
信じられないでしょ?(笑)
そんな頃もあったんです。
このサークルは面白いことに連れてこられた人が
続いていくんですよね。
さっきの伊藤さんもしかり、
丸ちゃんも一番最初はカヤと一緒に来たんだよね。
よっしーも初めは涼ちゃんて娘が連れてきました。
そしてももちゃん。
人の繋がりはホント面白いよね~。
そして同じ頃、どっちが先とか覚えていませんが
柳田さん、林さん、辺りもちょうどこの頃に入ってきました。
二人も大抵の人がそうであったようにNaoを見て来てくれて
確か美須々公園でのBBQが最初でしたよね。
柳田さんなんかも初めはメールの内容なんかも超ネガティブで
今でこそ笑って言えますけど当時は大丈夫かな?と思いましたよ(笑)
と、なると、上田のよっちゃんもこのあたりがデビュー?
もう過去に何人もの人が行き来してるので記憶が曖昧ミーです( ゚Д゚)ウヒョー
もしこれ見てる人の中で俺や私はこの辺だった。とかありましたらコメント欄にでも入れてください。
また修正や補足ある人もどんどん書き込んでくださいね。
と、まぁこんな感じでメンバーはどんどん増えていきます。
また新たな仲間が増えていきました。
まぁ大体シェアの活動スタイルとして当時はBBQが7~8割を占めていましたから
当然新規メンバーの初参加もBBQでした。
この頃入ってきたのが伊藤さん、長尾さん、モモちゃん、です。
伊藤さんは一番最初はカヤが連れてきたんですよね。
繋がりは確かカヤの友達、というより
正確に言うと元々サークルに参加してた下諏訪?諏訪?の人
(名前を忘れてしまいました(´ε`;)ウーン…)が諏訪湖でボートだかなんかをやってて、
それをカヤが見に行ってるうちに仲良くなって、
その仲良くなった人の友達が伊藤さんで、それがきっかけでサークルに来るようになったんですよね??
なんだか書いててわけワカメ(_´Д`) アイーン
(違ってたら修正してください)
そんなこんなで最初はサークルに参加してきた伊藤さんですが
今ではサークルに欠かせない仲間になりました。
そして長尾さん、前に結婚した時のブログにも書いたけど
一番最初は大雨の、嵐のような日のBBQが初参加でした。
シェアは基本的にアウトドア系と謳っていますから外の企画が多いのですが
案外天気には強い方なんです。
過去の企画などを思い出しても戦績は7勝3敗位なんですよ。
(_ノフ○ グッタリ マッタクイミガワカラナイ・・・・)
そんななかにおいて長尾さんが初登場した日のBBQはホントに嵐でしたね。
あそこまですごいと逆に笑えますアッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノアッヒャッヒャ
その雨が返ってよかったのか、あの日だけでだいぶ仲良くなれた気がしますよね。
その時長尾さんは友達二人連れてきていました。
一人は清水くんていう男の子と、そしてもう一人。
そうです、モモちゃんです!
キタ━━━━(。A。)━(゚∀゚)━(。A。)━(゚∀゚)━(。A。)━━━━!!!!
さぁももちゃん、お待たせしました。
約束どうり登場させたよ~!!
でもこの頃のモモちゃんは今では全く考えられないくらいおとなしかったんです。
なんだか目立たないようにしていました。
信じられないでしょ?(笑)
そんな頃もあったんです。
このサークルは面白いことに連れてこられた人が
続いていくんですよね。
さっきの伊藤さんもしかり、
丸ちゃんも一番最初はカヤと一緒に来たんだよね。
よっしーも初めは涼ちゃんて娘が連れてきました。
そしてももちゃん。
人の繋がりはホント面白いよね~。
そして同じ頃、どっちが先とか覚えていませんが
柳田さん、林さん、辺りもちょうどこの頃に入ってきました。
二人も大抵の人がそうであったようにNaoを見て来てくれて
確か美須々公園でのBBQが最初でしたよね。
柳田さんなんかも初めはメールの内容なんかも超ネガティブで
今でこそ笑って言えますけど当時は大丈夫かな?と思いましたよ(笑)
と、なると、上田のよっちゃんもこのあたりがデビュー?
もう過去に何人もの人が行き来してるので記憶が曖昧ミーです( ゚Д゚)ウヒョー
もしこれ見てる人の中で俺や私はこの辺だった。とかありましたらコメント欄にでも入れてください。
また修正や補足ある人もどんどん書き込んでくださいね。
と、まぁこんな感じでメンバーはどんどん増えていきます。
シェア創生記【12】
2009年04月27日
今思い出してみるとすごい登山になりました。
俺は前回の創生記にも書いたように過去にちょっと登ったことはありましたが
そうは言ってもやっぱり基本、青さん以外の4人は素人です。
まず俺と丸ちゃんはリュックを持っていません・・・・ありえません。
俺はコンビニで飲み物とご飯を買って、それを入れてもらった袋。
それがリュック代わりです。
ってことは背負うことはできません。
道中、ずっと手に持ったまま登ることになります。(;´Д`)
丸ちゃんは肩から掛けるポシェット・・・・・
工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工
完全に舐めてるなコノヤロウ(笑)。
靴も青さん以外誰もちゃんとしたの履いてなかった気がするし。
丸ちゃんは靴もふざけたような(笑)の履いてきてた気がします。
さて焼岳ですが登山口がいくつもあります。
上高地からのルートや安房峠にある中の湯旅館の上からのルート。
ここらへんが一般的なルートでしょうか?
ですが青さんが初心者4人を引き連れて登ることを前提に選んだ登山口は
安房トンネル長野県側入り口下の旧道の登山口です。
松本側から安房峠方面に向かうと上高地に入る釜トンネルがあり、
その手前の信号を左に曲がり上っていくと安房トンネルがあるわけですが
その釜トンネルの隣に卜伝の湯(ぼくでんのゆ)という温泉があります。
そこから200メートルほど上ったあたりが今回の登山口となります。
青さん的には初心者向きのルートとして選んでくれたのですが
これがちょっとハードでした。
登り始めてすぐ、300メートルぐらい登ったあたりでしょうか?
鰐さんが辛そうにしていてもう無理と言い出しました
゚(∀) ゚ エッ?マダノボリハジメタバカリダケド?
でもここでリタイアされても困ると思ったので
みんなで『あともうちょい(で頂上)だから』と嘘を言いながら(声を掛けながら)、
その後の頂上までの4~5時間、登らせちゃいました。
その時鰐さんから発せられたのが今でも引き継がれる伝説の名言
『だまされたーだまされたー』です(笑)
4~5時間の後、なんとか頂上に辿り着きます。
たしか天候がそんなに良くはなかったので頂上からの展望は見れませんでしたが
達成感はすごいありましたね。
頂上でお昼ご飯を食べ小一時間休んだあと下り始めます。
ここで事件が起こります。
『は、腹痛い・・・』
山にはそうそうトイレがないので痛みに耐えて下るしかありません。
我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢・・・。
そのうちに歩いていられなくなり立ち止まりしゃがみ込みます。
ガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマン・・・。
そのうち小だけ物陰に隠れてしました。
男はこういうとき楽でいいです。
知ってましたか?
極限までゆるい大を我慢すると水分が小になって出て行くんです。
だから小を出すだけでもだいぶ楽になるんですよ。
・・・ま、ホントどうでもいい情報でした(ノ∀\*)キャ
それからなんとかかんとか下まで降りてきました。
登りで辛そうだった鰐さんも安堵の表情を浮かべてました。
そんなこんなでサークルとしての初登山が終了します。
そしてこの登山がきっかけでサークルの企画として
登山が定着していきます。
この後、この年の10月末に行った御嶽山では大雪に降られたり
その何年後かは燕岳にみんなで登ったりと、
ほぼ月に一座は登るようになっていきます。
それからしばらくして一時期登らない時期がありましたが
最近また登山が流行りだしてきた気がします。
(もしかしたら俺と一部の人だけ?)
やっぱり山はいいっす!
ってことで今年はたくさん登りましょー( `・∀・´)ノヨロシクー!

俺は前回の創生記にも書いたように過去にちょっと登ったことはありましたが
そうは言ってもやっぱり基本、青さん以外の4人は素人です。
まず俺と丸ちゃんはリュックを持っていません・・・・ありえません。
俺はコンビニで飲み物とご飯を買って、それを入れてもらった袋。
それがリュック代わりです。
ってことは背負うことはできません。
道中、ずっと手に持ったまま登ることになります。(;´Д`)
丸ちゃんは肩から掛けるポシェット・・・・・
工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工
完全に舐めてるなコノヤロウ(笑)。
靴も青さん以外誰もちゃんとしたの履いてなかった気がするし。
丸ちゃんは靴もふざけたような(笑)の履いてきてた気がします。
さて焼岳ですが登山口がいくつもあります。
上高地からのルートや安房峠にある中の湯旅館の上からのルート。
ここらへんが一般的なルートでしょうか?
ですが青さんが初心者4人を引き連れて登ることを前提に選んだ登山口は
安房トンネル長野県側入り口下の旧道の登山口です。
松本側から安房峠方面に向かうと上高地に入る釜トンネルがあり、
その手前の信号を左に曲がり上っていくと安房トンネルがあるわけですが
その釜トンネルの隣に卜伝の湯(ぼくでんのゆ)という温泉があります。
そこから200メートルほど上ったあたりが今回の登山口となります。
青さん的には初心者向きのルートとして選んでくれたのですが
これがちょっとハードでした。
登り始めてすぐ、300メートルぐらい登ったあたりでしょうか?
鰐さんが辛そうにしていてもう無理と言い出しました
゚(∀) ゚ エッ?マダノボリハジメタバカリダケド?
でもここでリタイアされても困ると思ったので
みんなで『あともうちょい(で頂上)だから』と嘘を言いながら(声を掛けながら)、
その後の頂上までの4~5時間、登らせちゃいました。
その時鰐さんから発せられたのが今でも引き継がれる伝説の名言
『だまされたーだまされたー』です(笑)
4~5時間の後、なんとか頂上に辿り着きます。
たしか天候がそんなに良くはなかったので頂上からの展望は見れませんでしたが
達成感はすごいありましたね。
頂上でお昼ご飯を食べ小一時間休んだあと下り始めます。
ここで事件が起こります。
『は、腹痛い・・・』
山にはそうそうトイレがないので痛みに耐えて下るしかありません。
我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢・・・。
そのうちに歩いていられなくなり立ち止まりしゃがみ込みます。
ガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマンガマン・・・。
そのうち小だけ物陰に隠れてしました。
男はこういうとき楽でいいです。
知ってましたか?
極限までゆるい大を我慢すると水分が小になって出て行くんです。
だから小を出すだけでもだいぶ楽になるんですよ。
・・・ま、ホントどうでもいい情報でした(ノ∀\*)キャ
それからなんとかかんとか下まで降りてきました。
登りで辛そうだった鰐さんも安堵の表情を浮かべてました。
そんなこんなでサークルとしての初登山が終了します。
そしてこの登山がきっかけでサークルの企画として
登山が定着していきます。
この後、この年の10月末に行った御嶽山では大雪に降られたり
その何年後かは燕岳にみんなで登ったりと、
ほぼ月に一座は登るようになっていきます。
それからしばらくして一時期登らない時期がありましたが
最近また登山が流行りだしてきた気がします。
(もしかしたら俺と一部の人だけ?)
やっぱり山はいいっす!
ってことで今年はたくさん登りましょー( `・∀・´)ノヨロシクー!

シェア創生記【11 】
2009年04月22日
サークルでの山登りの話を書きます。
そもそも初めて登山をしたのは、よくある話ですが中学校登山での燕岳です。
その時は学校行事の一貫としてですから別にどうってこともなく終わりました。
その後、中学3年の時に休日に親父と2人で木曽へドライブに出掛けて、何故か勢いで御嶽山に登りました。ホント何故だろね?(笑)
しかし以後、一度も山に拘わることなく過ぎていきました。
2003年、サークルを始めて2年。
ある人との出会いがありました。
青柳さんです。
青柳さんは当時某村役場の職員をしてました。
(今もかな?)
そんな彼があるとき山登りをすることを知りました。
それを知った俺は、たぶんどこかで山に憧れがあったんでしょうね、青柳さんに登山に連れて行ってもらうようにお願いをします。
そしてそれから程なくして登山の日程が決まります。
メンバーは青さん、まるちゃん、鰐さん、きよちゃん、俺、と合計5人です。
サークルとしての初登山、目指す山は北アの南端、焼岳です。
そもそも初めて登山をしたのは、よくある話ですが中学校登山での燕岳です。
その時は学校行事の一貫としてですから別にどうってこともなく終わりました。
その後、中学3年の時に休日に親父と2人で木曽へドライブに出掛けて、何故か勢いで御嶽山に登りました。ホント何故だろね?(笑)
しかし以後、一度も山に拘わることなく過ぎていきました。
2003年、サークルを始めて2年。
ある人との出会いがありました。
青柳さんです。
青柳さんは当時某村役場の職員をしてました。
(今もかな?)
そんな彼があるとき山登りをすることを知りました。
それを知った俺は、たぶんどこかで山に憧れがあったんでしょうね、青柳さんに登山に連れて行ってもらうようにお願いをします。
そしてそれから程なくして登山の日程が決まります。
メンバーは青さん、まるちゃん、鰐さん、きよちゃん、俺、と合計5人です。
サークルとしての初登山、目指す山は北アの南端、焼岳です。
シェア創生記【10】
2009年04月17日
2日目の宴が始まりました。
と、同時に何人かがそわそわしだしました。
突然クラッカーが鳴りました。
するとキッチンの方から何かが運ばれてきました。
その何かはローソクのついたケーキでした。
そうです、佐渡2日目の7月20日は俺の26?27?歳の誕生日でした。
(いくつだったっけなぁ(;^ω^)?)
そして、みんなからハッピーバースデイを歌って貰いました。
あれは当時27年生きてきて一番の、みんなにお祝いしてもらった最高の誕生日でした。
そしてケーキだけじゃなく、
今度は押し入れから何かを出してきました。
腕時計のG-SHOCKでした。
そこにいた俺以外の11人と、佐渡には来られなかったけど
いつもサークルで仲良くしてくれている仲間達からのプレゼントでした。
初めてのことだったので照れくさいやら何やらで、クラッカーから出た紙テープを頭の上に載せ、真ん中から暖簾のようにかき分け
「やってる?」とかやってました(笑)
みんなのその気持ちがすごくうれしかったです。
その時計は今でも大事に取ってあります。
その後はみんなで飯食ったり、今ではよっぽどのことがない限り見られなくなりましたが俺も酒飲んだりしてました。
今思うとあれがシェアではだいぶ定番になってきましたが
サプライズの一番最初でしたね。
そして宴が終わり、前日に引き続き外に出て花火をします。
普通花火は残り少なくなって
名残惜しくなるところに過ぎゆく夏を重ねたりして風情があったりするのですが今回ばかりは違います。
なんとかこの大量の花火を消化して、持ち帰りたくない!
片手に3つづつくらい持ち一気に6つやってみたり、
隣のコテージに泊まってた家族にあげたりと、
やっつけ仕事でちょっと通常なら考えられないような花火をしました(笑)
結局それでもやりきれずにちょっと持ち帰った気がします。
それから部屋に帰りさて寝るか、ということになるのですが2部屋取ったうちの1部屋、俺たちが泊まった方のコテージが最悪でした。
翌朝起きた時に事件が発覚します。
『か、痒い・・・っ!!!!!!!!!!!』
同じ部屋に泊まった人みんながです。
答えはどうやらダニでした。
・・・・・・・・・・ダニ。
噛まれたことありますか?
マジでヤバいですよ。
痒くて痒くて痒くて痒くて痒くて痒くて痒くてかゆくてかゆくてかゆくてかゆくてかゆくてかゆくてかゆくてかゆくてかy・・・・。
痒すぎて掻き毟りました。
今では笑い話ですがあの時はマジで辛かったですね。
まぁそんなこんなで、3日目が始まります。
3日目は最終日。
雨降りでした。
朝バスに乗り、俺はよく知らないんですが
おそらく佐渡では有名なあじさい寺へ行きました。
雨降りの中で見るあじさい。
色彩がものすごく鮮やかに映えてて予想以上に良かったですね。
そして見終わってからフェリー乗り場のある小木港へ。
フェリー搭乗時間までお土産売り場を見たりして時間をつぶし、
時間が来てフェリーに乗船、直江津に向かいます。
直江津につき、そこから港のそばにあったファミレスに入り、
みんなでお昼ご飯を食べて松本に帰りました。
こうしてサークル初となる2泊3日のツアーを終えました。
このツアーを決行したことによって、みんなとの仲も深まり絆も出来ていったのかなと思います。
このツアーの成功がきっかけで
翌年は愛知県にある佐久島2泊3日ツアー、翌々年の高橋夫妻運命の親不知1泊2日ツアーなどを決行することになっていきます。
それはまた次の機会に書きたいと思います。
追伸
このツアーがきっかけとなってシェアのビデオ撮影が始まります。
元々はこの旅行を個人的に映像に残して起きたいということからビデオを買ったのですがその後シェアのビッグイベントには欠かさず持って行き撮影してました。
佐渡の映像は参加したみんながVHSとして持っています。
興味のある方は誰かに見せてもらってください。
できればあのビデオ、DVD化してほしいなぁ・・・。
と、同時に何人かがそわそわしだしました。
突然クラッカーが鳴りました。
するとキッチンの方から何かが運ばれてきました。
その何かはローソクのついたケーキでした。
そうです、佐渡2日目の7月20日は俺の26?27?歳の誕生日でした。
(いくつだったっけなぁ(;^ω^)?)
そして、みんなからハッピーバースデイを歌って貰いました。
あれは当時27年生きてきて一番の、みんなにお祝いしてもらった最高の誕生日でした。
そしてケーキだけじゃなく、
今度は押し入れから何かを出してきました。
腕時計のG-SHOCKでした。
そこにいた俺以外の11人と、佐渡には来られなかったけど
いつもサークルで仲良くしてくれている仲間達からのプレゼントでした。
初めてのことだったので照れくさいやら何やらで、クラッカーから出た紙テープを頭の上に載せ、真ん中から暖簾のようにかき分け
「やってる?」とかやってました(笑)
みんなのその気持ちがすごくうれしかったです。
その時計は今でも大事に取ってあります。
その後はみんなで飯食ったり、今ではよっぽどのことがない限り見られなくなりましたが俺も酒飲んだりしてました。
今思うとあれがシェアではだいぶ定番になってきましたが
サプライズの一番最初でしたね。
そして宴が終わり、前日に引き続き外に出て花火をします。
普通花火は残り少なくなって
名残惜しくなるところに過ぎゆく夏を重ねたりして風情があったりするのですが今回ばかりは違います。
なんとかこの大量の花火を消化して、持ち帰りたくない!
片手に3つづつくらい持ち一気に6つやってみたり、
隣のコテージに泊まってた家族にあげたりと、
やっつけ仕事でちょっと通常なら考えられないような花火をしました(笑)
結局それでもやりきれずにちょっと持ち帰った気がします。
それから部屋に帰りさて寝るか、ということになるのですが2部屋取ったうちの1部屋、俺たちが泊まった方のコテージが最悪でした。
翌朝起きた時に事件が発覚します。
『か、痒い・・・っ!!!!!!!!!!!』
同じ部屋に泊まった人みんながです。
答えはどうやらダニでした。
・・・・・・・・・・ダニ。
噛まれたことありますか?
マジでヤバいですよ。
痒くて痒くて痒くて痒くて痒くて痒くて痒くてかゆくてかゆくてかゆくてかゆくてかゆくてかゆくてかゆくてかゆくてかy・・・・。
痒すぎて掻き毟りました。
今では笑い話ですがあの時はマジで辛かったですね。
まぁそんなこんなで、3日目が始まります。
3日目は最終日。
雨降りでした。
朝バスに乗り、俺はよく知らないんですが
おそらく佐渡では有名なあじさい寺へ行きました。
雨降りの中で見るあじさい。
色彩がものすごく鮮やかに映えてて予想以上に良かったですね。
そして見終わってからフェリー乗り場のある小木港へ。
フェリー搭乗時間までお土産売り場を見たりして時間をつぶし、
時間が来てフェリーに乗船、直江津に向かいます。
直江津につき、そこから港のそばにあったファミレスに入り、
みんなでお昼ご飯を食べて松本に帰りました。
こうしてサークル初となる2泊3日のツアーを終えました。
このツアーを決行したことによって、みんなとの仲も深まり絆も出来ていったのかなと思います。
このツアーの成功がきっかけで
翌年は愛知県にある佐久島2泊3日ツアー、翌々年の高橋夫妻運命の親不知1泊2日ツアーなどを決行することになっていきます。
それはまた次の機会に書きたいと思います。
追伸
このツアーがきっかけとなってシェアのビデオ撮影が始まります。
元々はこの旅行を個人的に映像に残して起きたいということからビデオを買ったのですがその後シェアのビッグイベントには欠かさず持って行き撮影してました。
佐渡の映像は参加したみんながVHSとして持っています。
興味のある方は誰かに見せてもらってください。
できればあのビデオ、DVD化してほしいなぁ・・・。
シェア創生記【9 】
2009年04月13日
先日の花見でこの創生記ネタが意外に好評で読んでる人が多いと聞き、ちょいプレッシャーです(--;)
佐渡2日目。
この日は2班に別れての行動になりました。
のんびり過ごす班と島内観光班の2班です。
と言ってものんびり班はナベちゃんと俺だけで、残りはみんな観光班、という具合でした。
のんびり班の俺らは海へ行って浜辺で寝たり、本を読んでみたり、眺めたり入ったり浮かんだり・・・。
お昼は2人で海の家に行き、ちょっと高くて、量が少ないカレーを食べて。
その後はまた浜辺に戻って肌焼いたりして。
・・・ゆっくりと時間を過ごしてました。
一方、観光班はというと、(ここからの文は聞いた話になります)
前回の【8】にも書いたように12人目を港に出迎えに行ったようでした。
(誰か捕捉して下さい。)
港に船が入ってきたようです。
出迎えたメンバーはまるで島に有名人が来たんじゃないか!?というくらいの超ハイテンションで12人目を迎えたそうです。
船から降りてきたのはさとうさんです。
仕事の都合で1日遅れで島に入りました。
みんなに出迎えてもらったときの様子をさとうさんはこう語っていました。
『いやー、あの時は船に乗ってた他の乗客や港にいた他の人たちもいったいこの船に誰(どの有名人)が乗ってたんだ?って顔してて、いざ俺が出てった時に出迎えた仲間達の歓声が一層大きくなったのを聞いて「一体この人は誰なんだろう?」って顔をみんなにされて恥ずかしかったよ〜』
※プライバシー保護のため声を変えてお送りしてます(笑)
と言っていました。
これでサークルの佐渡ツアーの参加者がすべて揃います。
観光班はその後、佐渡金山へ行って砂金をとったり、買い物をしたりしたそうです。
夕方、観光班が俺らがいる浜辺へやって来てみんなで砂遊びやらビーチフラッグ等をしてはしゃぎました。
そしてツアー2日目の夜。料理長・高橋くんの指導の元、夕飯の準備が進んでいきます。
そして夕飯の時間、みんなで最高の夜に乾杯をし、宴が始まります。
が、なにかみんなの様子がおかしい。
なんだろ?
と思ってると・・・!!
佐渡2日目。
この日は2班に別れての行動になりました。
のんびり過ごす班と島内観光班の2班です。
と言ってものんびり班はナベちゃんと俺だけで、残りはみんな観光班、という具合でした。
のんびり班の俺らは海へ行って浜辺で寝たり、本を読んでみたり、眺めたり入ったり浮かんだり・・・。
お昼は2人で海の家に行き、ちょっと高くて、量が少ないカレーを食べて。
その後はまた浜辺に戻って肌焼いたりして。
・・・ゆっくりと時間を過ごしてました。
一方、観光班はというと、(ここからの文は聞いた話になります)
前回の【8】にも書いたように12人目を港に出迎えに行ったようでした。
(誰か捕捉して下さい。)
港に船が入ってきたようです。
出迎えたメンバーはまるで島に有名人が来たんじゃないか!?というくらいの超ハイテンションで12人目を迎えたそうです。
船から降りてきたのはさとうさんです。
仕事の都合で1日遅れで島に入りました。
みんなに出迎えてもらったときの様子をさとうさんはこう語っていました。
『いやー、あの時は船に乗ってた他の乗客や港にいた他の人たちもいったいこの船に誰(どの有名人)が乗ってたんだ?って顔してて、いざ俺が出てった時に出迎えた仲間達の歓声が一層大きくなったのを聞いて「一体この人は誰なんだろう?」って顔をみんなにされて恥ずかしかったよ〜』
※プライバシー保護のため声を変えてお送りしてます(笑)
と言っていました。
これでサークルの佐渡ツアーの参加者がすべて揃います。
観光班はその後、佐渡金山へ行って砂金をとったり、買い物をしたりしたそうです。
夕方、観光班が俺らがいる浜辺へやって来てみんなで砂遊びやらビーチフラッグ等をしてはしゃぎました。
そしてツアー2日目の夜。料理長・高橋くんの指導の元、夕飯の準備が進んでいきます。
そして夕飯の時間、みんなで最高の夜に乾杯をし、宴が始まります。
が、なにかみんなの様子がおかしい。
なんだろ?
と思ってると・・・!!
シェア創生記【8 】
2009年04月10日
2003年の7月19・20・21日、サークルの仲間との2泊3日での佐渡島ツアーへ行きました。
メンバーは俺、なっかん、青さん、高橋くん、鰐さん、なべちゃん、樋口さん、丸ちゃん、えりちゃん、沙織、よっしーの11人です。
朝からハプニングです。集合時間に高橋君が来ない。
家まで行き、勝手に上がりこみ部屋まで行くと高橋君、
俺の読みどうり爆睡中でした
。
あわてて起こし、集合場所へ
。
そして豊科インターから高速でビューっと行き直江津港からフェリーで佐渡へ。
初めてのフェリーでしたが船内は思ったよりも広かったしショボいながらもゲーセンもありました。
デッキに出れば当然『タイタニックごっこ』もしました(笑)
また当時は北朝鮮の万景峰号(マンギョンボンゴウ=携帯からblogを更新してるのですが、一発で漢字に変換できときはさすがにビックリしました(゜゜;))が話題になってる時期で、近くを通る船があると「万景峰号だっ!」と、おどけたりしてました(笑)
3時間ぐらい乗ってたでしょうか、前方に島陰が見えてきて佐渡に到着しました。小木港です。
小木港についてまずは腹ごしらえ、ということで港の近くにある鮨屋にみんなで入りました。
廻らない鮨屋ですよ。
港の近くで食べるって言うだけで旨く感じますよね。いや実際に旨かったんですけどね。
その後はよっしーが手配してくれていた(佐渡での宿泊先などの手配やその他諸々は全てよっしーがやってくれました。)その日の宿の管理人?が港まで軽の箱バンで迎えに来てくれました。軽の箱バンです。
こっちの人数はい11人です。定員は4人+荷物です。
確か全員運び終えるまでに3往復ぐらいしてもらった気がします
┐( ̄▽ ̄;)┌ ヤレヤレ
その日の宿は海が見える景色の良いコテージでした。
夕飯はみんなでバーベキューして食べてその後は大花火大会!!
実はこの日のために知り合いの人に頼み、花火の卸し問屋の人から正確な金額が思いだせれないのですが総額ウン万円分の花火を購入、持ってきてました。
ウン万円分の卸し問屋から買う花火。
ちょっと想像出来ないくらいの量です。
それを段ボールに入れ、あたかも何事もないような顔をしてフェリーに乗り込む・・・。
あれバレたら間違いなく危険物持ち込みで乗船拒否になったでしょうね(笑)
そんなこんなで酒をのんだり定番のトランプしたりで佐渡初日の夜は更けていきました。
そして2日目。
みんなより1日遅れであの男が佐渡へやって来ます。
しかもフェリーじゃなくてそれより高いジェットフォイルで・・・。
12人目は
メンバーは俺、なっかん、青さん、高橋くん、鰐さん、なべちゃん、樋口さん、丸ちゃん、えりちゃん、沙織、よっしーの11人です。
朝からハプニングです。集合時間に高橋君が来ない。
家まで行き、勝手に上がりこみ部屋まで行くと高橋君、
俺の読みどうり爆睡中でした

あわてて起こし、集合場所へ

そして豊科インターから高速でビューっと行き直江津港からフェリーで佐渡へ。
初めてのフェリーでしたが船内は思ったよりも広かったしショボいながらもゲーセンもありました。
デッキに出れば当然『タイタニックごっこ』もしました(笑)
また当時は北朝鮮の万景峰号(マンギョンボンゴウ=携帯からblogを更新してるのですが、一発で漢字に変換できときはさすがにビックリしました(゜゜;))が話題になってる時期で、近くを通る船があると「万景峰号だっ!」と、おどけたりしてました(笑)
3時間ぐらい乗ってたでしょうか、前方に島陰が見えてきて佐渡に到着しました。小木港です。
小木港についてまずは腹ごしらえ、ということで港の近くにある鮨屋にみんなで入りました。
廻らない鮨屋ですよ。
港の近くで食べるって言うだけで旨く感じますよね。いや実際に旨かったんですけどね。
その後はよっしーが手配してくれていた(佐渡での宿泊先などの手配やその他諸々は全てよっしーがやってくれました。)その日の宿の管理人?が港まで軽の箱バンで迎えに来てくれました。軽の箱バンです。
こっちの人数はい11人です。定員は4人+荷物です。
確か全員運び終えるまでに3往復ぐらいしてもらった気がします
┐( ̄▽ ̄;)┌ ヤレヤレ
その日の宿は海が見える景色の良いコテージでした。
夕飯はみんなでバーベキューして食べてその後は大花火大会!!
実はこの日のために知り合いの人に頼み、花火の卸し問屋の人から正確な金額が思いだせれないのですが総額ウン万円分の花火を購入、持ってきてました。
ウン万円分の卸し問屋から買う花火。
ちょっと想像出来ないくらいの量です。
それを段ボールに入れ、あたかも何事もないような顔をしてフェリーに乗り込む・・・。
あれバレたら間違いなく危険物持ち込みで乗船拒否になったでしょうね(笑)
そんなこんなで酒をのんだり定番のトランプしたりで佐渡初日の夜は更けていきました。
そして2日目。
みんなより1日遅れであの男が佐渡へやって来ます。
しかもフェリーじゃなくてそれより高いジェットフォイルで・・・。
12人目は
シェア創生記【7 】
2009年04月08日
今年は善光寺の御開帳の年です。
七年に一度の御開帳ですが正解に言うと数えで七年なので前回は2003年になります。
2003年、サークルのみんなで御開帳見に行きました。
行ったのは長野の善光寺じゃなくて飯田の元善光寺。
その日は企画で天竜峡の船下りに行きました。
その帰りに立ち寄ったんですけどやっぱり混んでました。
正直言うとあんまりよく覚えていませんが、なぜかさとうさんがハシャいでたように思います(笑)
あれから6年。
サークルを続けたまま、まさかもう一度御開帳の年を迎えるとは思いもしなかったです。
そしてその日は駒ヶ根のペリカンという店でランチしました。ちなみにここのオムライスはデカ盛りです。
その時だったと思います。
佐渡の話題が出ました。
そうです、その年の夏に行く事になる伝説の企画。
二泊三日の佐渡島ツアーが決まった時です。
七年に一度の御開帳ですが正解に言うと数えで七年なので前回は2003年になります。
2003年、サークルのみんなで御開帳見に行きました。
行ったのは長野の善光寺じゃなくて飯田の元善光寺。
その日は企画で天竜峡の船下りに行きました。
その帰りに立ち寄ったんですけどやっぱり混んでました。
正直言うとあんまりよく覚えていませんが、なぜかさとうさんがハシャいでたように思います(笑)
あれから6年。
サークルを続けたまま、まさかもう一度御開帳の年を迎えるとは思いもしなかったです。
そしてその日は駒ヶ根のペリカンという店でランチしました。ちなみにここのオムライスはデカ盛りです。
その時だったと思います。
佐渡の話題が出ました。
そうです、その年の夏に行く事になる伝説の企画。
二泊三日の佐渡島ツアーが決まった時です。
シェア創生記【6 】
2009年04月06日

そこに初登場しました。
そうです、彼がなっかんです。
さっきお宅にお邪魔して珈琲をご馳走して貰いました
( ̄▽ ̄)bウマカタヨ〜
シェア創生記【5 】
2009年04月05日
シェアができて2年目の頃には今でも続く忘年会を開催するようになってました。
最初の1〜2年は青さんの顔が利くこともあって、ほりでー湯のコテージを二棟借りての開催でした。
その頃はまだ隠し芸は無かったんですけどね(笑)
新年会も翌年からの開催で一番最初はカヤの親戚の白馬の民宿にスキー&ボードツアーと合わせて行きました。そういえばあの頃は清ちゃんもいました。
そんなこんなで着実にイベント数もメンバー数も増えていった三年目の春、今ではサークルには欠かせないあの人が入ってきます。
最初の1〜2年は青さんの顔が利くこともあって、ほりでー湯のコテージを二棟借りての開催でした。
その頃はまだ隠し芸は無かったんですけどね(笑)
新年会も翌年からの開催で一番最初はカヤの親戚の白馬の民宿にスキー&ボードツアーと合わせて行きました。そういえばあの頃は清ちゃんもいました。
そんなこんなで着実にイベント数もメンバー数も増えていった三年目の春、今ではサークルには欠かせないあの人が入ってきます。
シェア創生記【4】
2009年04月04日
シェアが出来て最初の年だったか、2年目のとしだったかよく覚えていないのですが、その頃入ってきてくれた人達が結構今のシェアというサークルを形作ってくれたメンバーです。
青柳さんや、カヤや、まるちゃん、よっしーなんかも来だしてくれた時期で、確か4人共違う回だったけどみんな薄川でのBBQがデビューだったと思います。
また、夏になればみんなで海に行って海岸BBQするようになっていました。
その海BBQの時に初参加してきたのがさとうさんと沙織でした。
高橋くんもこの頃からサークルに参加してくれるようになってました。
その海BBQの時だったか、また違うときだったか記憶が定かじゃないんですが俺の友達だった古田くんと、同じくその頃からサークルに来だしてくれてたゆきちゃんも参加してくれた回がありました。
2人はいつからか付き合っていました。
その日海岸に沈む夕陽をみんなからは少し離れたところでみてた2人。
その時古田くんはゆきちゃんにプロポーズして、ゆきちゃんがそれをうけてくれたそうです。
後日古田くんが教えてくれました。
その後2人は結婚をし、しばらく古田くんの仕事の都合で県外へ行ってましたが去年こっちへ帰って来たみたいです。
その間に3人の子供が産まれてもう立派なパパ、ママになってます。
また会いたいですね。
考えてみると古田くん達がサークルで知り合った同士で結婚した第1号ですね。
余談ですがその日高橋くんは大酒を喰らって泥酔。
どこか行ったと思って探したらトイレで爆睡してました(笑)
しかも顔中、身体中、至るところを蚊に刺されまくってました。
こ、怖いぃ〜。
青柳さんや、カヤや、まるちゃん、よっしーなんかも来だしてくれた時期で、確か4人共違う回だったけどみんな薄川でのBBQがデビューだったと思います。
また、夏になればみんなで海に行って海岸BBQするようになっていました。
その海BBQの時に初参加してきたのがさとうさんと沙織でした。
高橋くんもこの頃からサークルに参加してくれるようになってました。
その海BBQの時だったか、また違うときだったか記憶が定かじゃないんですが俺の友達だった古田くんと、同じくその頃からサークルに来だしてくれてたゆきちゃんも参加してくれた回がありました。
2人はいつからか付き合っていました。
その日海岸に沈む夕陽をみんなからは少し離れたところでみてた2人。
その時古田くんはゆきちゃんにプロポーズして、ゆきちゃんがそれをうけてくれたそうです。
後日古田くんが教えてくれました。
その後2人は結婚をし、しばらく古田くんの仕事の都合で県外へ行ってましたが去年こっちへ帰って来たみたいです。
その間に3人の子供が産まれてもう立派なパパ、ママになってます。
また会いたいですね。
考えてみると古田くん達がサークルで知り合った同士で結婚した第1号ですね。
余談ですがその日高橋くんは大酒を喰らって泥酔。
どこか行ったと思って探したらトイレで爆睡してました(笑)
しかも顔中、身体中、至るところを蚊に刺されまくってました。
こ、怖いぃ〜。
シェア創生記【3】
2009年04月03日
その『月刊Nao』ですが今はもうグルメ本みたいになってますが、当時は地域情報誌として出ていました。
その雑誌の巻末の方に友達募集、仲間募集コーナーみたいなのがあり、そこにサークルメンバー募集を出してみました。
当時はまだサークルメンバー募集というものがそんなになかったので、掲載された途端結構な数の問い合わせが来ました。
「あぁやっぱり出会いを求めてる人って多いんだな」
って実感しました。
その頃に入ってきたのが鰐さんやなべちゃん、樋口さん、
彼らがシェアの一期生になるんでしょうね。
考えてみるとその頃は何度か飲み会もやってましたね。
やっぱり飲み会は人集まりましたねー(笑)
当時は今はなくなってしまいましたが平田にあった
【シャオチー】が定番でした。
企画は月に一度を目指していましたが基本的には二カ月に一度くらいの頻度だったと思います。
その後今と同じようにBBQもやり始めました。
場所は主に薄川堤防でした。
その頃になるとメンバーも安定してきて、
どの企画も参加者は平均20人くらい集まってましたね。
でも当時はまだ今のようにみんなが仲良く、という感じではなく、
主催者と参加者、という感じでちょっと温度差がありました。
その雑誌の巻末の方に友達募集、仲間募集コーナーみたいなのがあり、そこにサークルメンバー募集を出してみました。
当時はまだサークルメンバー募集というものがそんなになかったので、掲載された途端結構な数の問い合わせが来ました。
「あぁやっぱり出会いを求めてる人って多いんだな」
って実感しました。
その頃に入ってきたのが鰐さんやなべちゃん、樋口さん、
彼らがシェアの一期生になるんでしょうね。
考えてみるとその頃は何度か飲み会もやってましたね。
やっぱり飲み会は人集まりましたねー(笑)
当時は今はなくなってしまいましたが平田にあった
【シャオチー】が定番でした。
企画は月に一度を目指していましたが基本的には二カ月に一度くらいの頻度だったと思います。
その後今と同じようにBBQもやり始めました。
場所は主に薄川堤防でした。
その頃になるとメンバーも安定してきて、
どの企画も参加者は平均20人くらい集まってましたね。
でも当時はまだ今のようにみんなが仲良く、という感じではなく、
主催者と参加者、という感じでちょっと温度差がありました。
シェア創生記【2】
2009年04月02日
シェア旗揚げ企画だった最初の花見は、今思えば一回だけのお祭り企画のような感覚だったかもしれません。
立ち上げた自分でさえ二回、三回と続けていこうとは考えてなかったような気がします。
それでも前回のブログにも書いたように初めてながら30人を越える参加者、新しい出会い、と、盛り上がったのがキッカケで今に繋がってます。
元々は俺ひとりで立ち上げた訳じゃないのは何年か前のブログにも書いているので今回は割愛しますが、最初はある友達と一緒に始めました。
その友達も企画側として参加したのは最初の花見だけで、それ以降はただの参加者として初期の企画に2〜3回来てました。
ですが、しばらくたってから恋人が出来てそっちに夢中になり(笑)次第にサークルからは疎遠になっていきました。
まぁ当時24?25?歳くらいの年頃でしたから無理もないですよね。
今はその友達も結婚して二人の子供の親として佐久で頑張っています。
なかなか会うことは出来なくなってしまいましたが、年賀状のやりとりだけは今でも毎年続けています。
その友達がいなければこのサークルもなかったでしょうからホント感謝してますね。
話を戻して、前回のブログの最後にその時(最初の花見)の参加者で今残っている人はいないと書きましたが誤解があるといけないので書きますが、なにかあって来なくなったとかそういうんじゃなく、ホント当時俺たちも若かったですし当然参加してくれた人たちも若かった。
もちろん中には合わないと感じて来なくなる人もいたでしょうけど。
他にもいろんな誘惑が沢山あったんですよね。
彼氏・彼女が出来て、っていう人たちも多かったですし、仕事・遊びも忙しかったんだと思います。
また参加者は元々は友達の友達という人が多かったので、誘ってくれた友達が参加しなくなると連鎖的に参加しなくなり(出来なくなり)徐々にフェードアウトしていくパターンがほとんどだったと思います
普通ならこれでサークル自体も体力を無くし消えていくのでしょうけど、最初の企画で人との出会いの面白さや楽しさ、可能性を知った俺は、友達づたいの(人に頼る)人集めの方法を辞め、自分でどうにかしようと考え出します。
そこで一冊の雑誌の存在を知りました。
地域情報誌『月刊Nao』です。
立ち上げた自分でさえ二回、三回と続けていこうとは考えてなかったような気がします。
それでも前回のブログにも書いたように初めてながら30人を越える参加者、新しい出会い、と、盛り上がったのがキッカケで今に繋がってます。
元々は俺ひとりで立ち上げた訳じゃないのは何年か前のブログにも書いているので今回は割愛しますが、最初はある友達と一緒に始めました。
その友達も企画側として参加したのは最初の花見だけで、それ以降はただの参加者として初期の企画に2〜3回来てました。
ですが、しばらくたってから恋人が出来てそっちに夢中になり(笑)次第にサークルからは疎遠になっていきました。
まぁ当時24?25?歳くらいの年頃でしたから無理もないですよね。
今はその友達も結婚して二人の子供の親として佐久で頑張っています。
なかなか会うことは出来なくなってしまいましたが、年賀状のやりとりだけは今でも毎年続けています。
その友達がいなければこのサークルもなかったでしょうからホント感謝してますね。
話を戻して、前回のブログの最後にその時(最初の花見)の参加者で今残っている人はいないと書きましたが誤解があるといけないので書きますが、なにかあって来なくなったとかそういうんじゃなく、ホント当時俺たちも若かったですし当然参加してくれた人たちも若かった。
もちろん中には合わないと感じて来なくなる人もいたでしょうけど。
他にもいろんな誘惑が沢山あったんですよね。
彼氏・彼女が出来て、っていう人たちも多かったですし、仕事・遊びも忙しかったんだと思います。
また参加者は元々は友達の友達という人が多かったので、誘ってくれた友達が参加しなくなると連鎖的に参加しなくなり(出来なくなり)徐々にフェードアウトしていくパターンがほとんどだったと思います
普通ならこれでサークル自体も体力を無くし消えていくのでしょうけど、最初の企画で人との出会いの面白さや楽しさ、可能性を知った俺は、友達づたいの(人に頼る)人集めの方法を辞め、自分でどうにかしようと考え出します。
そこで一冊の雑誌の存在を知りました。
地域情報誌『月刊Nao』です。
シェア創生記【1】
2009年04月01日
今日から4月に入り、だんだんと花見の日が近づいて来ました。
花見のタイトルにもあるようにシェアは今年で8周年を迎えます。
8年。
過ぎてみればあっという間ですが、考えてみると人間に例えるなら産まれてきた子が小学校の3年生になってる歳です。
イツモ、イツモ、順風満帆だった訳じゃなくて、やっぱりここに至るまでには色々な出来事がありました。
まず一つに第一回目の花見(2001年の4月開催のシェアの初企画)ですが、その時は友達やそのまた友達、といった風に人づたいに参加者を集めていって、最終的には30人を越える人が集まってくれました。
初めての企画にしては人もよく集まり盛り上がりました!
でも、その時のメンバーは今現在、誰ひとりとして残っていません。
続きます。
花見のタイトルにもあるようにシェアは今年で8周年を迎えます。
8年。
過ぎてみればあっという間ですが、考えてみると人間に例えるなら産まれてきた子が小学校の3年生になってる歳です。
イツモ、イツモ、順風満帆だった訳じゃなくて、やっぱりここに至るまでには色々な出来事がありました。
まず一つに第一回目の花見(2001年の4月開催のシェアの初企画)ですが、その時は友達やそのまた友達、といった風に人づたいに参加者を集めていって、最終的には30人を越える人が集まってくれました。
初めての企画にしては人もよく集まり盛り上がりました!
でも、その時のメンバーは今現在、誰ひとりとして残っていません。
続きます。